ブルーバード

幸せの青い鳥を求めて

泣きながら

泣きながら電車に乗ったことはありますか。

 

ぼくは地元を離れて

いま東京ではたらいています。

 

というのも

末期がんで余命宣告された父が一番喜んでくれた就職先が東京のとある会社だったのです。

 

父の治療の活力になればと

東京で就職してがんばることに決めました。

 

いま父は

意識がない状態になってしまったようです。

 

5月に病院に送っていったこと。

4月にラインで連絡を送って

ゴールデンウィークにうみほたるで車が止まってしまったときに入院しているお父さんに電話したこと。

 

去年手術前に一緒にマクドナルドでゆっくりしたこと。

大学四年のとき

宇都宮まで迎えに来てくれて

回転寿司にいったこと。

宇都宮まで迎えに来てくれて

イタリアン料理を一緒に食べに行ったこと。

 

東日本大震災のとき

携帯で連絡をとって迎えにきてくれたこと。

学校で残って勉強して夜遅くなるとかえりに迎えにきてくれたこと。

 

大学の入学書類トラブルのときは

一緒になって頼み込んでくれたこと。

 

いつも憎まれ口たたいて話をすりかえていたけれど、根は真面目すぎるくらい真面目で優しかった。

 

そんな父が弱っていくさまを見るのは

本当に辛い。

 

東京で仕事をして

週末帰省してそのたびに弱っていく父を見るのは心を抉られるような思いだった。

 

だんだんとできないことが増えていった。

仕事。料理。運転。衣類の脱ぎ着。ナースコールを押すこと。

つらかったとおもう。

 

母親はもうお父さんと話せなくなるかもしれないと大声で泣いてしまった。

 

お父さんのために東京で働いているけど

そばにいてやることができない。

お母さんを支えてやることもできない。

悔しくて仕方がない。

 

お父さんのためにした選択だったけど

正直お父さんのためになったのかわからないし、

なにより毎日がつらい。

 

毎日電話はできても近くにいてやることが

できない。

一番大事なことのはずなのに。

一番大事なことだったはずなのに。

 

けれど毎日毎日衰弱していくお父さんを見ながら、僕は仕事にいける自信がなかった。

 

お母さんにも余計な負担をかけちゃうとおもった。新しい生活のサポートをするのも大変なんだ。

 

けれどこれはいいわけなのかもしれない。

ただ見たくなかっただけなのかもしれない。

見たくなくて押し付けてしまったのかもしれない。

 

妹もお母さんもぼくのことを恨んでるかもしれない。

優しい言葉もかけられず、つよがってつよがって。

連絡があるたびにぼくは電車の中で泣いています。

マスクの下は鼻水でぐちゃぐちゃです。

だって仕事中に泣くわけにはいかないから。

家に帰っても泣いています。

涙がとまりません。

 

 

どうしていいかわからなくなります。

どうしてもつらくなる未来しか見えないです。

 

どうしてぼくは生きてるんでしょうか。

もうやりたいこともほしいものもありません。

ぼくもはやく死んでしまいたいです。

僕が生きてるのは

お母さんと妹のためです。

 

ぼくはこの世に未練などありません。

けれどこれ以上悲しい思いを二人に味わってほしくない。

 

僕自身はどうなんでしょう。

幸せになれる未来はみえません。

僕の人生はなんなのでしょう。

きっとなんでもないのでしょう。

 

これ以上悲しみの種を撒きたくない。

ただそれだけで生きています。

生きているだけです。

ただ、生きているだけです。

 

どこに手をおいていいかわかりません。