ブルーバード

幸せの青い鳥を求めて

心境の変化

これまで、いかに自分のことで精一杯だったかがわかった。

ずっと僕にはオーバーフローしたときの受け皿がないと思っていた。

それは子供のころも、地元に一度戻ってからもそうだ。

 

家族に相談する相手はいなかった。

父にはなにかを相談を受ける余裕なんてなかった。仕事が続かず、途中資格取得の勉強をするも、その後も激務ばかり。きっと父と母のことだ、父が母になにかを相談したりすることはなかっただろう。だって母に相談しても傷つくだけだから。

母には。大事ことはなにも言わないできた。生きてきた世界が狭い母は、物事の見方がとても偏っている。イメージとはちがうが箱入り娘のようなものだ。

父も母も余裕がなく、また人生経験もあまり豊富ではなかったと思う。

ゆえに尊敬という念はこれまで抱いたことがない。感謝の気持ちや大変そうだ‥という労いの気持ちはあるが、尊敬の気持ちは湧いてこない。

 

そして、友達。友達なんて政治的なもので隙を見せれば簡単に裏切る。

裏切られてきたから、裏切ってきた。

でもSOとして友達を好きなってしまう。友達が他の人と遊んでいるととても嫌な気持ちになる。すごく苦しかった。でも、その友達にはおれのそんな気持ちはわからないし、俺もそんな気持ちは伝えることができない。子供の考えることだ、気持ち悪いと言われていじめの材料にされるリスクの方が大きい。

社会人になってからはさらに顕著で、周りはみな既婚者。

自分の家族のためなら、同僚や部下なんてどうなってもいいとそんなやつばかりだ。

1社目、2社目とそんなひとが多かったように思う。

 

でも3社目の今はちがう‥。根っこのところは一緒なのかもしれないけど、それ以上に温かい職場だ。涙がでそうになる。サプライズで上長からの手紙とありえる‥?

感動してしまった。嬉しかった。YouTubeの企画かよと思った。

このままだと職場や職場の人を好きになってしまう。いや、それはいいんだ。

でも一番好きになってしまうのは、やばい‥。心がもたない。。

自分自身に余裕もできて、だれかを支えたり、支えられるような人間になりたいと切に思う。こんな気持ちは生まれてからはじめてだ。

 

自分自身を強くしようと考えて、これまでやってこなかったことにチャレンジしたことはあった。大学ではじめた部活もそうだ。まずはじめて、やめてみる。やめる経験を積むことも目的だったから、最終的にはやめてしまったけど、少しもやもやしている。

あそこでやめることを目的にしないで、もう少し余裕をもって、もう少し一生懸命続けていたらH先輩のように泣くくらいまで打ち込むことができていたら、人生の結果はちがっていたかもしれない。

ぼくが泣くくらいまで打ち込んだのは、高校三年間の勉強と社会人4年目、5年目の事業だ。どちらもうまくいかないチームプレーだったけど、何度も何度も泣きながら打ち込んだ。‥書いていて思ったけど、あれはあれで良い経験だったのかもしれない。。

全力でなにかに打ち込んだ経験ほど、人生を豊かにしてくれるものはない。

カッコつけずに全力で、覚悟をもって打ち込む。素敵なことだ。

 

さて、本題の心境の変化だ。

新しい仕事になって5ヶ月がたった。つい3ヶ月くらい前までは、こんな日が一生続けばいいのにと思っていた。

静かな部屋、自由に選べる食事、便利のいい立地、堂々と散歩できる街、ガソリンのかからない移動、あらゆる娯楽が手に届く距離、インスタントな人間関係

どれもこれも魅力的で、なにより「楽」で、本当に晴れ晴れしかった。

そしてあらゆるストレスから解放されたことで、新しいことにも興味がでてきた。

これまで見ていた動画の傾向は、物悲しい音楽や好きだったアニメなどだったが、

最近はおもしろいものや興味のあるものにも手を伸ばせるようになった。

環境もあるのかな。親の目を気にせず堂々と見られるから。

 

薄暗くて寒い部屋にこもる必要がなくなったから。

部屋にいるとリビングに呼ばれることもなくなったから。

ひとりにしておいてほしい気持ちを殺す必要がなくなったから。

もう放っておいて欲しい、付き合わせないで欲しいと散々思ってた。

早く寝てくれればいいのに。はっきりいって邪魔だ。

でも親がひとりでテレビを見ている姿はなんだかかわいそうに思えてきて、悪いことをしているようでとても嫌だった。

でも、自分自身が耐えられなった。だから家出した。

 

話を戻そう。石原さとみ関係のツイッターをきっかけによしだマンを知った。

かっこよくておもしろくて、笑顔が素敵で、学歴もあって、ああ、こんな人がいるんだな‥それに比べて俺は‥と心を動かされていた。でもあるとき、そんなことが気にならなくなって、まったく羨ましいなと思わなくなった。(生きるために得意になった技:飽きる)。

 

その後。ちん凸ニュースをきっかけに、えびすじゃっぷというYoutuberを知った。年齢が近くて、親近感が湧く。カメラマンの人の元職場がおれの元職場でそれも親近感が湧く。この人たちの動画で、「なんだ、こう思ってるのって俺だけじゃないんだ」ってすごく安心したし、こんな仲間が今いたらなあと思ったりする。でも自分にはちゃんと小学校でも中学校でも高校でも大学でも仲間がいたし、思い出もそれなりにあると思う。いまも気軽に話ができる心許せる友達もいる。だから、そんなに卑屈にならずに済んだ。

あれ‥?なんだろう。。それなのに、なにかもやもやする。

 

僕に料理を振る舞ってくれた人がいた。手のこんでいるおいしい料理だ。

だれかが自分のためになにかしてくれるのってこんなに嬉しいものなんだと心に染みた。あれ‥??

 

いとこが結婚する。一度一緒に食事をしたが、あいての人はとてもいとこのことを好きでいることが伝わってくる。見ていて微笑ましい。本当にこの人はいとこのこと好きなんだなと伝わってくるのだ。あれ、、?

 

妹が結婚する。調べ物や企画を率先してやってくれるらしい。幸せそうだし、妹の心のよりどころが彼になっていることがわかる。あれ。。。。?

 

今月髪を切った。俺にしては最長記録、3ヶ月ぶりだ。脱毛やセルフカットの影響もあって、髪をきらずともモサくならずに済んだ。

そこの美容師さんのインスタから、おしゃれな人、かっこ良い人を辿っていくと、あるYouTuberにたどり着いた。こたのわカップルだ。

動画を診始めると穏やかで楽しそうな2人が幸せそうに暮らしている姿が写っている。

その笑顔や仕草を見ているだけで、こっちまでにっこりしてしまう。

素直にいいなあ、、羨ましいな、、と思ってしまった。

おれはこれまで恋愛のしかたを学んでこなかった。きっとみんなは好きな人ができて、その人とうまくやるためにはどうしたらいいか、うまくいっている人や先輩にきいたりしていたのだろう。

でも、自分は好きを押し殺していたし、懇意な先輩もいなかった。友達に相談するにも、そもそも相手のことは話せないし、そもそも好きな相手が振り向いてくれる可能性なんてゼロに近いと思っていた。おまきに周りの親族カップルは仲が殺伐としており、喧嘩ばかり。はっきりいって交際に意味を見いだせないでいた。だから、恋愛からは距離をおいていたし、なくてもこの先生きていけると思っていた。

それなのに、それなのに、あー。

願ってしまった。誰かに隣にいてほしいと、喜んでもらいたいと。自分さえよければよいとおもっていた自分が変わってしまった。だれかに喜んでもらいたいとそう思ってしまった。いや、この感覚は6年前にも少しだけ味わったことがある。このときは組織に頼らず生きていけるように習い事をはじめたころだ。でも、だれかに喜んでもらえる喜びをここで学んだような気がする。だから思い出したのだ。

そう、俺はもともと誰かに喜んでもらえることが好きだった。

でも、誰からも喜ばせてもらえなかった。

俺はもともとは独占欲が強い人間だった。

でもそれじゃ社会的に生きていけなかった。

 

これまでの人生で後悔してきたことはあまりないつもりだった。

でも今おおきく後悔してきたことがある。もっと恋愛してくればよかった。

好きなら、ダメでも引かれてもアタックして、努力すればよかった。

そういう意味、中学の時に気持ちを伝えられた俺は偉かった、よく頑張った。

高校では好きな人ができなかった。気になる人はいたけど、好きとはちがっていた。

大学でも気持ちを伝えた。でもダメだった。相談はだれにもできなかった。

社会人になってからは、何人も悲しませてきた。どうして会ったばかりのおれのことを好きになってくれるのかわからなかった。でも、いまおれはわかった。

彼らは思い合うひとが欲しかったので。さんざん俺が否定してきた「俺のことを好きなんじゃなくて、恋人が欲しいだけでしょ」という論をブーメランで受けている。

俺はそれをアクセサリー的に捉えていたけど、いまはちがう。

思い合って、一緒にこれから思い出をつくっていけるような関係を心の底から願う。

週1回とか月1回会うんじゃなくて、できるだけ毎日一緒にいて思い出をつくっていけるような。

ひとりの時間が必要だと俺はよく言っていたけれど、だれかと共有できる時間のほうが今は欲しい。

思い出をつくっていきたい。思い出を残していきたい。

本当に勝手だな、おれは!でも、自分のそんな心境の変化を嬉しく思う。

スポーツの名プレーとかで相手を惚れ直させたり、気の利いた演出をしたり、相手の喜ぶ料理をつくることは今はできないけど、相手を感動させるようなことができる人間になりたい。

 

大学生で気づいている人もきっといるだろうけど、おれは今この瞬間に気づくことができた。きっかけは転職先の上司がさりげなく言った言葉「喜んでもらえるから」と。

さらっとこんなことを言えるあなたは、本当に素敵な上司でした。

 

Kind regard,