ブルーバード

幸せの青い鳥を求めて

絶望

私は今24歳である。

12を周期として2周したことになる。

義務教育、高等教育を経て

いまは仕事を行い収入を得ている。

 

しかしこの仕事、ぼくでなくてもできるもので、ぼくのした仕事は後世にはきっと残らないだろう。

 

ぼくのことは誰の記憶にも残らない。

ぼくがこの世界にいた記録はどこにも残らない。

そういう生まれてきた意味とか価値とかを考えた時に

感じ得る感覚は

絶望のみだ。

 

ただ食べて、寝て、言われた通りに動き、ト書き通りの人生を送る。

世界を消費し、時間を浪費し、感覚を麻痺させていく。

 

ベートーベンもジュールもラースフォントリアーも音楽なり学績なり映画なり

自分の資質を踏まえてなにかを残してこの世を去った。

彼らがいたことを世界は忘れないだろう。

 

永遠に聴き継がれ、学び継がれ、見継がれる。

 

いったいどうしたことだ。

わたしは幸せになりたいはずではなかったか。

幸せになるために幸せをつかむために

これまで生きてきて、

これから幸せをつかむのではなかったのか。

 

それが、どうして

どうしてなにかを残したいなんて考えに変わったのだろうか。

 

どうして。どうして。

ぼくはもう自分の人生に飽きているのだ。

たしかに面白い思い出も記憶もある。

いま現在もおもしろいものもみつけられている。

 

けれどももう十分なのだ。

もう満足したのだ。

満タンに湛えたコップに水滴をひとつ落とした時のような、溢れ出した状態は美しくない。

表面張力で満ち足りた状態

それこそがもっとも不安定で安定で

美しい。

わたしは美しく死にたい。

 

なにかを残せば

 

なにかを残したならば

きっとわたしの人生は

もう幕を引けるのだろう。

その最後のペースを埋めれば完成されたパズルのまま終われるのだ。

 

しかしわたしになにができる。

映画?書籍?マンガ?作曲?

なにもできない。

なにもできないのだ。

ああ悔しい。

悔しくて仕方がない。

こんなに悔しい思いをしたのは人生ではじめてだ。

無力だ。無力だ。

わたしはこれまでの人生でなにをしてきたのだ。