ブルーバード

幸せの青い鳥を求めて

相談内容

やりたいこともほしいものももうない。

 

たまに新しく知り合った人に興味をもつことはある。

けれどそれも付き合いを重ねていくうちに冷めてくる。興味対象ではなくなる。

 

もう美味しいと思うものは食べたし、

行きたいと思ったところで行けるところはいった。

行ってみたいと思っても行ってみたら案外大したことないことも知った。

やってみたいとおもったこともやってみたら案外楽しくないことも知った。

 

もう特にやりたいこともない。

 

自分の自由な人生を歩みたいけれども、

それをすると親が生きていけなくなるかもしれない。

親はぼくが固い仕事についてくれたことで安心感をもっている。

妹も然りだ。

けれど、僕の心はどうだろう。

こんなことやりたくないとおもっている。

もっと自由な仕事をしたい。

 

けれど、たしかにそう思っているけれど、

それは隣の芝生があおくみえるだけかもしれない。

それに本当になにかをやりたかったら大学時代にもっと積極的に動けていたはずだろうともおもう。

ぼくはなにもしたくないのかもしれない。

やりたいかもしれないけど勇気がないのかもしれない。

 

バーで会ったフリーランスのライターの人やマッサージ店をやっているひとは楽しそうだった。

悩み事もないといっていた。

学生納付特例制度の追納について相談したときだけど、マッサージ店のひとは「迷っているってことは本当はそうしたいと思っていることだと思う」と言っていた。

そうかもしれない。

 

やってみて、精一杯やってみて、それでもだめだったら死ねば良い。

それだけのことなんだ。

 

けれどぼくは「自分」というものへの解釈を家族を含めたものに拡張した。

はじめからぼくだけの自由など存在せず、

僕の人生が家族の人生を左右する、僕な悪いことをすると家族が生きづらくなるような5人組制度のような風潮はね強く残っていると思う。

 

自分の人生は僕だけのものだけではなく、僕と家族のものなんだ、と。

そう考えることにした。

そう考えないと現状を受け入れられないのだ。

つらい。苦しい。