尊敬していた人、恩人のお母さんがブログをやっていることがわかった。
内容は、母性と愛溢れる内容だった。
なるほど、この親にしてあの子ありと納得いったような‥気がしただけかな。
誰かをおもい、誰かにおもわれ、人は生きていく。
これがなくなると、個性や自我が強烈化し、
破壊的、衝動的、自暴的、芸術的な傾向が強くなるのでしょう。
ここで文章にしたのは、大人になってからの思考は文にしないと
流水の如く流れ去って行くことを感じているから。
1日前の自分と今日の自分では、考えていることはまるでちがうし、
1ヶ月前の自分と今日の自分では、他人の考えと同様である。
古い過去の上になりたつ自分というものもたしかにあるけれど、その割合は決して多くはない。
今に与える影響は、1秒前が1番大きく、次いで1分前、1時間前、1日前と小さくなっていく。一瞬一瞬をどう生きるか、これが肝要。
なにか成果を残したいなら、計画や習慣が大事だとおもうけど
とくにそういうつもりがなく、パフォーマンスを安定させるだけなら
変に計画や週間にこだわると息苦しくなる人がいる(自分がそうだ)
適度に刺激を求めながら、即物的な享楽に身を任せることにしましょうか。
だれのこともおもわない人生ってどういうものなんだろう。
映像を発信したり、天才性を発揮したりするのも、まだ見ぬだれかにむけたメッセージなんだろう。