ブルーバード

幸せの青い鳥を求めて

毎日のこと

今日はなにしよう。

明日はなにしよう。

 

そんなことを考えながら、結局こたえは出ずに1日が終わる。

そんなことの繰り返しである。

もはや人生を流している。

 

そんなとき仕事があると楽である。

やることがあり、余計なことを考えなくていい。

さらに、程よい充実感と疲労感を味わえる。

その上お金までもらえる。

 

仕事とはなんと素晴らしいものなんだろう。

(単調作業には嫌気が差すことはあるが)

 

仕事を終えて、用意された夕飯と風呂を享受する。

絵に描いたような幸せである。

 

しかし、ここまでの道程は決して楽ではなかった。

そしてこの幸せは苦難や不幸の結果でさえある。

 

僕が社会人1年目の6月、父が死んだ。

うちはもともと6人で暮らしていた。

けれど、家は母方のじーちゃんが建てたもので、母が小さい頃に建てたものだ。もともとは3人で暮らしていた家に6人が住むのだから手狭になるのは自明である。人口密度は2倍である。

 

父と母方の祖母は仲が悪かった。妹と祖母も仲が悪かった。祖父は祖母と祖母の親族の陰口をたたいていた。父と母の仲は普通だったようにおもうが、母は父に多くを求めすぎていた様におもう。家庭には双方向的な会話はなく、たまに怒鳴り合って喧嘩をしていた。祖母が「首吊って死んでやる」と発狂することさえあった。

そんな家庭のこともあってか、僕は空気を読むことに長けるようになっていた。

その甲斐あって「ここでこんなこと言ったら喜びそうだなあ」ということがなんとなくわかるようになった。事実、僕は祖母と仲良しだったし、父には人誑しだと言われた。

大学に入りある先輩に言われたことだが、「お前は相手がこう言われたら嬉しいんでしょう?ということを言う」と言われた。空気を読むことは人並み以上の自覚はあるが、さりげなくという代物ではない。バレバレである。目も当てられない。僕がどう感じているかではなく、相手が行って欲しい言葉を提供する。それが思いやりだと僕は信じている。いや、ちがう。その形でしか思いやりを示せないのだ。僕はなにも感じていない。感じていないから、感じたままの言葉なんて出せない。必ず大きくブレーキを踏んで発言する。たとえ怒るべきシチュエーションであっても。それが正しい大人の姿なのだと信じて。

 

おれは家にいたくなかった。実家には絶対に戻らないと思っていた。

しかし大学3年の冬、祖母が死に、社会人1年目の夏、父が死んだ。これでうちにいるのは母と妹、祖父だけである。僕が実家に戻り、妹は転勤で家を出た。この家の適正人数である3人暮らしが実現したのだ。各々が個人のスペースを持ち、干渉しすぎない暮らしが今生まれたのだ。

祖父は今年80歳になり、母もあと数年で還暦となる。この3人暮らしはいつまでもは続かないだろう。それでも僕は今あるこの平和な暮らしを目一杯楽しみたいのだ。

それは、僕が子供の頃に味わうことのできなかった緩みなのだ。

やっと緊張の糸が撓んだ。もう少しだけ、この状態を楽しみたい。

 

僕は職場では意識的に空気を読まない様にしている。いい大人がそんなことをしてはみっともないというのは最もだが、これは周囲への反抗ではない。

これは自分への、そして自分が歩んできた道への逆襲なのだ。

そして、究極の暇つぶしだ。