ブルーバード

幸せの青い鳥を求めて

残せたもの。

友達のインスタグラムの投稿をみた。

7人で楽しそうだ。7人。

集合地は長野らしい。

 

誘われてもいったかどうかわからないし、行かなかったと思うけど、

誘われなかったのは少し寂しいかな。

うち2人はタイやグアムに一緒に行った。

うち1人は香港に一緒に行った。

うち1人は浜松に一緒に行った。

けど、今会ったところで一体なにを話せばいい?

交際のこと?仕事のこと?結婚のこと?

思い出のこと?友達のこと?お金のこと?

そんな畏まったことを考えてる時点できっと相手に気をつかわせちゃうのかなって笑。

 

仲が良かったはずなんだけど、

物理的にも心理的にも距離ができてしまったのかなあ。

俺から距離を置いてしまったようなところもあるし、おれはあまり楽しそうにしないしね。

3年経ってるし、それは仕方がないかなとも思う。

きっとこの集まりも分離と結合を繰り返して、いつかなにも残らなくなるんだろうなっていうのも感じている。

もし残ったとしたら、それは一生続くものになるかもしれない。けど、それは大きな単位ではないはずだ。

そういう意味では、少しだけでも手のひらに残っている関係があるおれはうまくやれていると思う。

 

寂しさを克服する方法。

それは人と一緒にいること。

人と話をすること。

自分の話をきいてもらうこと。

肌を重ねること。

でも、それは一時的なもの。

その一時的を重ね合わせていって、紡ぎ合わせたものが人生なんじゃないかなって最近思うんだ。

 

楽しかった日の夜はより一層寂しくなる。

 

アムウェイネズミ講によって失われるものは過去の人間関係。

ぺんぺん草も生えないくらいに不毛となる。

おれがこれまで残してきた人間関係はそれに近いものがあるかもしれない。