ブルーバード

幸せの青い鳥を求めて

逃げ出したい

今年度になって仕事は落ち着いた。

 

異動があったからだ。

前の部署は本当に合わなかった。

相性がよくなかったのだろう。

 

今年度になって、体の不調も落ち着いている。

合わない仕事に無理に合わせて得たもの。

3月に一度の通院

限度額までかかる医療費

頭皮や陰部に現れる痒み

寒さで現れる指の腫れ

ここで得たものは全て失った物だ。

そして、失う前の状態には戻れない。

 

俺は許さない。絶対に許さない。

今でも前の部署の名前を出されてはあそこにいたからと言われる。

もうあの部署とは距離を置くんだ。

大変なのを知っているからとか

かわいそうだからとか

業務を知っているからとか

そういう理由で手を貸すのはもうやめよう。

自分を守るために、これ以上傷つけないために

頭がかゆくてしかたないので

体調が悪いので

こういう理由づけで厄介ごとからはなるべく遠ざかることにしたい。

知っていても知らないふり。

上手に断る。

そして1分1秒でも早く辞めよう。

 

 

 

尊敬

尊敬していた人、恩人のお母さんがブログをやっていることがわかった。

内容は、母性と愛溢れる内容だった。

なるほど、この親にしてあの子ありと納得いったような‥気がしただけかな。

 

誰かをおもい、誰かにおもわれ、人は生きていく。

これがなくなると、個性や自我が強烈化し、

破壊的、衝動的、自暴的、芸術的な傾向が強くなるのでしょう。

 

ここで文章にしたのは、大人になってからの思考は文にしないと

流水の如く流れ去って行くことを感じているから。

1日前の自分と今日の自分では、考えていることはまるでちがうし、

1ヶ月前の自分と今日の自分では、他人の考えと同様である。

古い過去の上になりたつ自分というものもたしかにあるけれど、その割合は決して多くはない。

今に与える影響は、1秒前が1番大きく、次いで1分前、1時間前、1日前と小さくなっていく。一瞬一瞬をどう生きるか、これが肝要。

 

なにか成果を残したいなら、計画や習慣が大事だとおもうけど

とくにそういうつもりがなく、パフォーマンスを安定させるだけなら

変に計画や週間にこだわると息苦しくなる人がいる(自分がそうだ)

適度に刺激を求めながら、即物的な享楽に身を任せることにしましょうか。

 

だれのこともおもわない人生ってどういうものなんだろう。

映像を発信したり、天才性を発揮したりするのも、まだ見ぬだれかにむけたメッセージなんだろう。

 

おちこむ2

今日のいいこと

熱があがらなかった。

午後起きていられた。結婚できない男を楽しめた。

 

今日いまひとつのこと

夕飯時お腹が空かない。

 

発熱が続いていた。

3/20くらいまで続いていた。

寝ても仕事のことが頭から離れなくて、眠れなかったり、本当に嫌になるッ。

 

しかし、しかししかし〜

体調回復してやりたいこととかあるか妹にきかれたけど、

思いつかない。

しごとばかりはイヤだーーーーー。

欅のライブ?とかさがしてみた。

今後の予定はないようだ。

 

旅行する?

犬をかう?ひとりぐらしをする?

ゲームを買う?…人付きあいをする?

 

うーん、実は俺って人より寂しがりやなんだろうな〜。。悲しい哉。

コリャー仕事やめたあと、苦労しそうだな。

孤独一直線かもしれぬ。

 

 

 

おちこむ

3/2から1週間ほど発熱が続いた。38度39度の熱が続き、ピークは39.7度。

とてもとてもしんどかった。

2/28に寒い運動公園で北風にあたったのが全ての発端である気がする。

 

3/2に職場のPCでyoutubeをみていて寒気を感じた。

帰って熱を測ってみると38.5。

そこから抗原検査1回、PCR検査1回、抗原検査2回‥。点滴を3回。

カロナールとロキソプロフェンのダブルパンチが最も効いた。

胃が荒れに荒れたのだ。嘔吐もした。

 

今回の体調不良で救われたのは

・ビタミンゼリー

・パイナップルジュース

・あさりの味噌汁

・就寝時のスパッツ、靴下

youtube音楽 忘れじの言の葉

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本当の発端は心の不調な気がするのだ。

今後に対するただ漠然とした不安。

芥川を死に追いやった魔物である。

 

「なにかに頼るんだ。なんでもいい、この後に起こる何かに期待するんだ。」

「それはきっとあるはずなんだ。」

 

「お前の予測を超えるものは現れない。」

「お前の孤独を埋めるものはこの世のどこにもない。」

きゃりあのこと

1度目の転職を25歳で行った。

28歳の今、また悩んでいる。

転職が成功したら、地元を離れ、華やかな街に移住するか。

一度華やかな街から、地元に戻ってはきたが。

 

悪くはない。でも、そうすることでどうしたいか。

転職移住を考えているのは、「がんばりたい」「認められたい」という積極的な理由ではない気がする。ただ現状から距離をおきたいだけ。

でも、身の回りの人を変えたい、仕事内容を変えたい、住む場所を変えたいという思いはあるかもしれない。

 

うーん。もっと優秀な人と働きたいのかなあ。

もっと多くの人と働きたいのかなあ。

 

‥でもきっと、これより大きな組織に入ったら、日光を浴びる時間が減る気がするなあ。

 

スポーツの趣味をもちたいなあ。仲間づくりに役立つような。

けど今更かなあ。

 

向上心のない者はハッピーらしい。

苦しむのは向上心があるけれども、それに見合う努力をする能力がなく、それに絶望する者らしい。

努力なんて、だれにでもできるものではない。

羽生結弦は言っていた。「努力は報われなかった。」と。

 

地獄のひとつが向上心か。

「うまくなりたい」「ひとより優れたい」「認められたい」「何者かになりたい」

これが地獄だ。

じゃあ、これがなくなればいいのかな。

生きる気力を失う気がするぞ。

 

医療費がとてもかかる体になってしまった。

年間20〜25万くらいかかりそうだ。

だから、これを穴埋める収入が欲しい。

それも含めての転職の悩みである。

 

まったく、人生はうまくいかないものだ。

 

旅に出たいのかな。

お金のことをまったく考えずになにをしたいか、ネットで調べてみたところ、

①豪邸など不動産系

②世界一周など旅系

③博士号をとるなど学び系

④本を出す、評論するなど世の中に思想を出力する系

‥あとはめんどくさいからいいや

とにかくカテゴライズできる。

この中で、興味があるのは②の旅系だけだった。

ああ、旅にでたい。旅先でいろんなひとと出会いたい。

 

 

こみあげること

自分がどういきたいかわからない。

自分がどう働きたいかわからない。

 

目立ちたい?認められたい?すがりたい?

「なりたかった自分がわからなくて苦しい」

こう検索してでてきたこの記事

www.1101.com

共感しすぎて泣けてきた。

 

なりたかった仕事第3位の仕事をしている。

同じこの仕事の環境を2つ経験した。

そして、全然ちがうことに気づいた。

向いている部分、向いていない部分の両方に気づいた。

 

なりたかった仕事についてしまい、このあとの展望を持てないこと。

なりかった仕事について、やりたいことは特になかったこと。

第1位、第2位の仕事への憧れ、その仕事についている人への憧れを拭きれないこと。

 

将来の夢なんてものを子供のときには考えるけど、

なにになりたいかじゃなくて、

生きて、なにがしたいかで考えればよかったんだ。

この見方で、小学生のときなら、いったいなにになりたいだろう。

収入や世間体を全部抜きにして、やりたいことってあったのかな。

昆虫博士? 水路をつくるひと? みんなに認められること?

化学の実験者? 作家? 医者? 芸人? モデル? 

どれもしっくりこない。

ただ生きていたかった?

ああ、でもそうだ。自分の衝動に即ブレーキをかける傾向があるんだ。

たとえば、インスタやツイッターで注目されている人を本当はうらやましいとおもっている。影響力のある人をうらやましいと思っている。

この欲求にブレーキをかけている。

自分の人生を切り売りして公開したくない、有名になっても僻まれるだけだ。

欲しいものは素直や称賛だけ。

セットで嫉妬や羨望、お門違いな批判をうけるくらいなら、なにももらわないほうがマシである。

 

ああ、でもそういえばずっと家族が仲よければいいのにとは思っていたかな。

3年ほど前に救ってくれたひとがいる。

このひとの言葉に納得し、自分で自分を取り扱うことを意識している。

けれど、どうしても自分で自分を収められないときもある。

きっと自分に必要なのは、上のリンクにあるように鏡になってくれる人だ。

恋人だったり、友達だったり。

自分と対話するための鏡になってくれる人。

 

こういう関係をもつためには、相手の鏡にもなれる自分が必要かな。

 

今の職場のある同僚が言っていた。

「おれ、頼りにされるの好きだから。」と。

こんなにはっきりとこんなことを言えることに素直にすごいなと思った。

 

頼りにされるのが好きだ。けど、いいように使われるのは嫌だ。

多くの人はこう思っているはずだと思っていた。

そして、これらは切り離せないということは共通認識だと思っていた。

ちがうのか?

 

ああ、自意識を爆発させている。

そのおかげですこし心が落ち着いてきた。

最近、自分で自分を持て余しがちである。

これは自身のなさか。コンプレックスか。

他人への物足りなさか。自分への物足りなさか。

考えてもしかたがないのはわかっている。

 

でもきっとみんなも考えているんだろうな。

だから、転職したり結婚したり離婚したりするんでしょう?

 

ときどきこうして立ち止まらないと不安になる。

というか、不安だから立ち止まるんだけど。

自分が足をつけているのはどこで、なんなのか。

ゲームで言えば全体図を表示する時間。

まわりと自分を確認する時間。

これが人よりもたくさん自分には必要なんだ。

どうでもいい他人の評価やしがらみ、これが知らず知らず思考と行動を制限する。

自分で見つけたい。自分にこだわりがちな傾向。

これにはなんの価値もない。はっきり言って無駄だろう。

けどこの無駄が余白が必要な人生なんだ。

 

学生時代に出会ったバックグラウンドが全然ちがうひとたち。

特に高校以降、文化資本の格差に愕然とした日々。

この文化資本がうらやましくてうらやましくて仕方なかった。

育ち、教養、振る舞い、考え方、人脈。

そのすべてが羨ましかった。

努力して学歴は同等か準ずるものになったと自認しているけれど、

その他はなにひとつ足元にも及ばない。

悔しかった。

こんな思いをするくらいなら努力なんかするんじゃなかった。

何度そうおもっただろうか。

努力して追いついても、努力して手に入らないものが顕現するのみだ。

これにどうしようもないやるせなさを覚えている。

この感覚とはもう10年の付き合いになる。

ひとは人との比較で感覚が変わっていくんだと思った。

だから今の自分は積極的に人付き合いをすることを好まない。

比較するのも、されるのも不快だからだ。

 

今日は昔の知り合いのフェイスブックの知り合いを辿り、学生時代1流だったひとたちを検索してみた。今なにをしているかはわからないが、医者、獣医、研究者などをしているようだ。この人たちもきっと同じ悩みや葛藤を抱えている。

だからきっと、ステージに立とうとするんだろう?世の中の役に立とうとするんだろう?

きっと、うまく付き合う方法を見つけているんだ。恋人、スポーツ、芸術、執筆、バンド、ゲーム、漫画、アニメ、料理、釣り、ドライブ、散歩、やまのぼり、植物同定、きのことり、サイクリング‥。

※そういえば、そこで見つけたひとが言っていた。

「義務感とかがんばろうとすると続かない。悔しいなとか、もっと勉強したいなと自発的な気持ちになったときに続く。」と。

悔しいなという気持ちが少しでもあったのは小学校時代くらいかな。

微妙なところだけど。

自尊心を糧に勉強した中学時代、自罰的な義務感で勉強した高校時代。

これまでの人生、あまりいいモチベーションで生きてこなかったのかもしれない。

話を戻そう。

読書や勉強だけを一生懸命やっても決して身につかないもの。

こういう方法をいくつかもつこと、探り当てるヒントをたくさん持っていること、それを教養というのではなかろうか。

 

教養のない人間の老後は悲惨だ。

仕事や学歴といった過去の栄光、権威、知識、名誉、読書に比重を置く余、他人の評価を常に必要とする極めて面倒な人間になるからだ。

これらは全て見てもらう聞いてもらう他者の存在が不可欠なのだ。

(ファッションも美容も見てもらう人がいなければ意味がないのだ。)

他人と付き合うにしても、お互いにwin-winになれる方法を見つけられることが教養である。

 

 

 

むかつくこと

去年まで散々「君がどこに行っても生きていけるように」「かわいがりだな」「無理だって言う元気があるから大丈夫だな」「悪口とか言ったらどこに行っても筒抜けだ」とか言って追い詰めてきて、逃げ道を塞いできたクソ上司が、慢性疾患の病気になった話をした途端、「言いづらいかもしれないけど、そういうことは言って」とか言ってきて、もうおせーんだよ、手遅れだよ。

いじめたやつが自殺したいじめっことやってること一緒だよ。

そんなんだから、おまえのもとについた新人みんなやめたんだよ。

おれも逃げるのが正解だったのかな‥。

逃げ遅れたのかな‥。

馬鹿だったのかな‥。

逃げた先達たちは正解だったのかな‥。

 

腹が立ってきた。

顔も見たくない。

声も聞きたくない

絶対一緒に車に乗りたくない。

もう我慢するのやめようかな。