ブルーバード

幸せの青い鳥を求めて

こみあげること

自分がどういきたいかわからない。

自分がどう働きたいかわからない。

 

目立ちたい?認められたい?すがりたい?

「なりたかった自分がわからなくて苦しい」

こう検索してでてきたこの記事

www.1101.com

共感しすぎて泣けてきた。

 

なりたかった仕事第3位の仕事をしている。

同じこの仕事の環境を2つ経験した。

そして、全然ちがうことに気づいた。

向いている部分、向いていない部分の両方に気づいた。

 

なりたかった仕事についてしまい、このあとの展望を持てないこと。

なりかった仕事について、やりたいことは特になかったこと。

第1位、第2位の仕事への憧れ、その仕事についている人への憧れを拭きれないこと。

 

将来の夢なんてものを子供のときには考えるけど、

なにになりたいかじゃなくて、

生きて、なにがしたいかで考えればよかったんだ。

この見方で、小学生のときなら、いったいなにになりたいだろう。

収入や世間体を全部抜きにして、やりたいことってあったのかな。

昆虫博士? 水路をつくるひと? みんなに認められること?

化学の実験者? 作家? 医者? 芸人? モデル? 

どれもしっくりこない。

ただ生きていたかった?

ああ、でもそうだ。自分の衝動に即ブレーキをかける傾向があるんだ。

たとえば、インスタやツイッターで注目されている人を本当はうらやましいとおもっている。影響力のある人をうらやましいと思っている。

この欲求にブレーキをかけている。

自分の人生を切り売りして公開したくない、有名になっても僻まれるだけだ。

欲しいものは素直や称賛だけ。

セットで嫉妬や羨望、お門違いな批判をうけるくらいなら、なにももらわないほうがマシである。

 

ああ、でもそういえばずっと家族が仲よければいいのにとは思っていたかな。

3年ほど前に救ってくれたひとがいる。

このひとの言葉に納得し、自分で自分を取り扱うことを意識している。

けれど、どうしても自分で自分を収められないときもある。

きっと自分に必要なのは、上のリンクにあるように鏡になってくれる人だ。

恋人だったり、友達だったり。

自分と対話するための鏡になってくれる人。

 

こういう関係をもつためには、相手の鏡にもなれる自分が必要かな。

 

今の職場のある同僚が言っていた。

「おれ、頼りにされるの好きだから。」と。

こんなにはっきりとこんなことを言えることに素直にすごいなと思った。

 

頼りにされるのが好きだ。けど、いいように使われるのは嫌だ。

多くの人はこう思っているはずだと思っていた。

そして、これらは切り離せないということは共通認識だと思っていた。

ちがうのか?

 

ああ、自意識を爆発させている。

そのおかげですこし心が落ち着いてきた。

最近、自分で自分を持て余しがちである。

これは自身のなさか。コンプレックスか。

他人への物足りなさか。自分への物足りなさか。

考えてもしかたがないのはわかっている。

 

でもきっとみんなも考えているんだろうな。

だから、転職したり結婚したり離婚したりするんでしょう?

 

ときどきこうして立ち止まらないと不安になる。

というか、不安だから立ち止まるんだけど。

自分が足をつけているのはどこで、なんなのか。

ゲームで言えば全体図を表示する時間。

まわりと自分を確認する時間。

これが人よりもたくさん自分には必要なんだ。

どうでもいい他人の評価やしがらみ、これが知らず知らず思考と行動を制限する。

自分で見つけたい。自分にこだわりがちな傾向。

これにはなんの価値もない。はっきり言って無駄だろう。

けどこの無駄が余白が必要な人生なんだ。

 

学生時代に出会ったバックグラウンドが全然ちがうひとたち。

特に高校以降、文化資本の格差に愕然とした日々。

この文化資本がうらやましくてうらやましくて仕方なかった。

育ち、教養、振る舞い、考え方、人脈。

そのすべてが羨ましかった。

努力して学歴は同等か準ずるものになったと自認しているけれど、

その他はなにひとつ足元にも及ばない。

悔しかった。

こんな思いをするくらいなら努力なんかするんじゃなかった。

何度そうおもっただろうか。

努力して追いついても、努力して手に入らないものが顕現するのみだ。

これにどうしようもないやるせなさを覚えている。

この感覚とはもう10年の付き合いになる。

ひとは人との比較で感覚が変わっていくんだと思った。

だから今の自分は積極的に人付き合いをすることを好まない。

比較するのも、されるのも不快だからだ。

 

今日は昔の知り合いのフェイスブックの知り合いを辿り、学生時代1流だったひとたちを検索してみた。今なにをしているかはわからないが、医者、獣医、研究者などをしているようだ。この人たちもきっと同じ悩みや葛藤を抱えている。

だからきっと、ステージに立とうとするんだろう?世の中の役に立とうとするんだろう?

きっと、うまく付き合う方法を見つけているんだ。恋人、スポーツ、芸術、執筆、バンド、ゲーム、漫画、アニメ、料理、釣り、ドライブ、散歩、やまのぼり、植物同定、きのことり、サイクリング‥。

※そういえば、そこで見つけたひとが言っていた。

「義務感とかがんばろうとすると続かない。悔しいなとか、もっと勉強したいなと自発的な気持ちになったときに続く。」と。

悔しいなという気持ちが少しでもあったのは小学校時代くらいかな。

微妙なところだけど。

自尊心を糧に勉強した中学時代、自罰的な義務感で勉強した高校時代。

これまでの人生、あまりいいモチベーションで生きてこなかったのかもしれない。

話を戻そう。

読書や勉強だけを一生懸命やっても決して身につかないもの。

こういう方法をいくつかもつこと、探り当てるヒントをたくさん持っていること、それを教養というのではなかろうか。

 

教養のない人間の老後は悲惨だ。

仕事や学歴といった過去の栄光、権威、知識、名誉、読書に比重を置く余、他人の評価を常に必要とする極めて面倒な人間になるからだ。

これらは全て見てもらう聞いてもらう他者の存在が不可欠なのだ。

(ファッションも美容も見てもらう人がいなければ意味がないのだ。)

他人と付き合うにしても、お互いにwin-winになれる方法を見つけられることが教養である。