ブルーバード

幸せの青い鳥を求めて

孤独と自由(案)

自由で、楽しい人生。

それは大抵の人は選べない。

大抵の人は自分のやりたいことなんて、やり続けられない。

 

文化的に広く共有されている「幸せ」のために、自身の「幸せ」をないがしろにしていく。

 

だから自由で楽しい人は妬まれる。

自分ができなかったことをやっているから。

 

おれは、これまでの教育過程でやりたくないことをやる才能はある程度ついた。

でも、やりたいことをやる才能はおろか、やりたいことをさがす才能すら身についていない。

 

教育過程でやりたくないことをやっていく中で、競争はつきものだ。

やりたくないことをやっていても優と劣に別れる。

劣はやりたくないことをやっていても褒められることはない。

優はやりたくないことをやっていれば褒められる。

劣はこの不条理の中でどうリアクトするか。

優への攻撃だ。

 

やりたいことをやる人生の山と

やりたくないことをやる人生の山がある。

 

やりたくないことをやりつづけていけば、いつかやりたいことがやれますよと騙される。

でもそうじゃない。

やりたくないことの山を登り続けても待ち受けるのはやりたくないことの山の山頂だ。

やりたいことの山になるわけじゃない。

代わりにやりたくないことを受け入れる耐性がつくだけだ。(個人差がある。)

 

やりたいことをやっている山に登っている人に出会った。kだ。

彼は歌が上手い。そのうまさゆえにパフォーマーとしての活動をしていたこともある。

けれど、彼はバランスが悪いといっていた。

普通の人が選んだ人生が羨ましい、と。

保険が欲しい、と。

 

kは多くの人のしている苦労や保険の話ができない。なぜならその話の引き出しがないから。

自分の引き出しの話をすれば、妬まれる。他の人が引き出す話題は持ち合わせていない。

それは孤独だろう。

寂しいんだろう。

 

自己実現ができない、自分の人生の舵をきれないもどかしさと

他人と交わることができないさみしさ。

 

どちらにしてもつらいんだろうな。