はじめはただ欲しかった。
幻影旅団団長クロロルシルフルの言葉。
何を捨てても許される街、流星街。
流星街には存在しないはずの人たちが存在する。
そのなかでクロロはこういった。
「はじめはただ欲しかった。」
欲しかったから、盗賊になった。
はじめになにももっていなかったから
なにを手に入れれば満たされるのか、わからなかった。
だから奪った。手当たり次第に。
欲しいものを、恣に。
ディーゴ総帥の言葉。
(ハンターハンター30巻より)
さあ乾杯しやう
乾杯しやうじゃないか
人というものに
善人も悪人も
いつの世も
繰り返す
膿むには余りに長く
学ぶには余りに短い
時の螺旋状
だからこそ
よく欲し
よく発するのだらう?
「命など
陽と地と詩とで
満たされるほどの
ものなのに」
総帥という立場にあり
すべてを掌握していた立場であった。
すべてをすてて
人生に意味を見出した。
意味づけ。自分なりの定義。
そして「円環の理」を悟り、還る人生を選んだ。
自然に。
前者は自由な生き方を望み
後者は自然な生き方を望んだ。
クロロの選んだ道は
デュルケムやマートンの論じたアノミー的緊張状態に由来していると思われる。即ち、社会の人々に広く共有されている目標(有名大学への進学、一流企業への就職、富や財の形成)が合法的な手段で手に入らない状態の時、緊張状態に陥る現象だ。
この状態への対処として
①同調
②革新
③儀礼主義
④逃避
⑤反抗
の五つのパターンがある。
クロロの場合は②革新を選んでいる。
革新、それは文化的目標を受容する一方で、制度化された手段が利用できない状態で新しい方法をみつけることである。
クロロの「なにももっていなかった」境遇とその後の選択は社会学的に「革新」である。
一方のディーゴ総帥はどうだろう。
彼は文化的目標を諦め、手段も放棄している。
これは儀礼主義か逃避である。
しかしながらなにかへの依存をともなっていなそうなので、これは儀礼主義だろう。
ディーゴ総帥は自分なりの宗教的人生観をみつけ、それを信仰することを選んだようにおもう。