1.17.00
辛いが仕方ない。
仕事だからな。
辛い?
はははは。知っているよ。
君らは何も感じていない。
仕事だから仕方がない。
19世紀の夜明けから、その言葉が、虫も殺さぬ凡庸な人間から、どれだけの残虐さを引き出すことに成功したか。
仕事だから、東ドイツの国境警備隊は西への脱走者を射殺することができた。
全ての仕事は人間の良心を麻痺させるために存在するんだよ。
我々の中には競合しあっている
感情のモジュールがいくつかあるんだよ。
そしてその中には今ではすっかりいらなくなってしまったが、しつこく残っている機能もある。
干ばつが襲って来たとしよう。
人類が農業なんてまだ営んでいなかった時代の話だ。人間は集団を形成し、お互いを助け、一緒にやっていくほうが、裏切って抜け駆けするよりも安定して生活できることを学んだ。
生存への適応
だが、そうやって膨れ上がった集落が干ばつに見舞われ、人々を維持するだけの食料が調達できなくなったとしよう。
どうするね。
その利他精神に満ち溢れた集合は滅びるしかないのかね。
虐殺の文法は食料不足に対する適応だったというのか。
そうだ。
虐殺の文法は、人類がまだ食料生産をコントロールできなかった時代の名残だ。
しかし
虐殺行為が行われ、個体数が減り、食料の確保が安定する。
そのために虐殺を許容するムードを醸造し、良心をマスキングすることは、むしろ、個の生存にはプラスとなる。
私は隣人を愛することも、人間の野蛮さと同じくらい、いやそれ以上に生物学的に根拠のある機能だということを知っている。
虐殺器官を見つけたところで、それが人間の本性などと絶望してはいないよ。
‥
愛する人々を守るためだ。
‥
もうこんな悲しみは十分だと。
そこらじゅう悲しみしかないじゃないの。
だが、それは人々の目に映らない悲しみだ。
人々は見たいものしか見ない。
世界がどういう悲惨に覆われているか、気にもしない。
でもそこは私が育った世界だ。
スターバックスに行き、アマゾンで買い物をし、見たいものだけを見て暮らす。
私はそんな堕落した世界を愛しているし、そこに生きる人々を大切に思う。
良心は脆く、壊れやすいものだ。
文明は概して、より他者の幸せを願う方向に進んでいるが、まだ十分じゃない。
本当の絶望から発したテロというのは、トレーサビリティのリスクを度外視した自殺的行為だ。社会の絶望から発したものを個人認証セキュリティなどといったシステムで減らすことは無理なんだよ。
私は考えた。
彼らが我々を殺そうと考える前に、彼らの内輪で殺しあってもらおうと。
そうすれば、彼らと我々の世界は切り離される。
殺し、憎み合う世界と
平和な世界。
彼らには彼らで殺しあってもらう。
私たちの世界には指一本触れさせない。