ブルーバード

幸せの青い鳥を求めて

夜想

夜想貫井徳郎

ひとは、ある日突然思いもよらない不幸に見舞われることがある。

世の中に溢れる多くの物語は、その不幸を克服し前向きに生きるひとびとの姿を描くものだ。

しかしながら、その姿は本当に理想的なのだろうか。

確かに傍目からみれば、悲しみから立ち直れずいつまでも暗いひとより悲しみから立ち上がりこれまで通り、もしくはこれまで以上に邁進していくひとのほうを称賛したくなるだろう。

「悲しみをばねにしてあの人は頑張っている。」

「あんなにつらいことがあったのに、あんなに前向きになって‥。私も頑張らなくちゃ。」

そういう感想を抱き、自分が邁進する糧にできるからだ。

いつまでも暗いひとがそばにいたのでは、自分のやる気が削がれるし、組織であれば組織全体の士気にかかわってくることだろう。

けれど、別にいいんじゃないか。

つらいならつらいで。

かなしいならかなしいで。

別に乗り越える必要なんかないんじゃないか。

無理に救われる必要なんてないんじゃないか。

そばにいてほしいひとが近くにいるなら、そういう人を慮ってきっといつまでも沈んだ気持ちではきっといないだろう。

いつまでも悲しくて、いつまでもつらくて、いつまでも暗いのは、きっといてほしいひとが近くにいないからじゃないか。

あるいはいてほしいひとがそんな自分の状態を受け入れてくれると信じているからじゃないか。

いずれにしても、自分にとってどうでもいいひとやどうでもいい社会のために悲しみを乗り越える必要なんてない。

無理に明るく振る舞う必要もない。

楽しければ明るくなる、ただそれだけのことだ。

悲しみを抱くことが問題なんじゃない。

悲しみに対処しようとする姿勢が問題なんだ。

心を締め付ける鎖から解き放たれることはもうない。

ならばせめて自分の手で締め上げるような真似は避けたいものだ。

 

 

 

 

 

 

67ページ

受け入れられる喜びとはこんなに大きかったのかと、雪藤は驚く。

 

512ページ

「ついに気づいてしまったんですね。自分が何から目を背けていたか、わかってしまったんですね。」

 

「あなたは天美先生と出会って救われたと思っていた。でも、本当は救われてなんかいなかった。救われたいと願っていただけだっだんですよ。」

 

521ページ

「悲しみってのは絶対に乗り越えなきゃいけないものなのか、と。悲しければ悲しいままでいてもいいんじゃないか、とね。悲しいことや辛いことには立ち向かっていかなければいけないように考えてしまうじゃないですか。それを克服して心の奥底にしまい込まなければいけないと、義務のように感じてしまいますよね。でも本当はそんな必要ないと思うんです。どうしても乗り越えられない悲しみもあるんですよ。だったら、無理に乗り換える必要はない。乗り越えられないことを恥じに感じる必要なんてないと、私は思うんですよね」

 

「幻痛、という現象があるのはご存知ですよね。手や脚を失ってしまった人が、もうないはずの部分に痛みを感じることがあるそうじゃないですか。それっておそらく、体の一部がなくなってしまったことを脳が認めたくないんだと思うんですよ。あまりに現実が辛いから、脳が受け入れることを拒否するんです。そういうことはあるんですよ。辛いのは自分の体の一部を失うだけじゃなく、大事な人を失うのだって同じですよね。だから雪藤さんは、それを認めたくなかったんだ。過酷すぎる現実をどうしても受け入れたくなかったんですよ。ぜんぜん不思議なことじゃない。むしろ、当たり前のことだと思います。誰も雪藤さんのことを頭がおかしくなったなんて考えていませんよ。なぜなら、雪藤さんの悲しみをみんなわかっているからです。単に悲しみを乗り越えようとして乗り越えられずにいただけだと、知っているからです。雪藤さんに戻ってきてほしいと、我々は思っていますよ。それだけが言いたくて、追いかけてきたんです」

 

524ページ

人々の態度に裏があると感じていたのは、雪藤自身の心に陰があったからだ。自分の心に陰があることさえ自覚すれば、周囲が雪藤の働きぶりを認めてくれていることが素直に理解できる。心の傷を隠さなくていいのはこんなにも楽なことだったのかと、改めて発見した思いだった。

 

527ページ

「この世には決して癒えない悲しみというものも、残念ながら存在します。だから癒えない傷を無理に癒そうとふるのは、よりいっそう傷口を深くしてしまう危険性があります。」