昨日は心療内科にいってきました。
今回心療内科に行ったのは不安感が強くて、これからの人生にポジティブな意味づけをすることが難しくなったからです。
電話予約してからむかいました。
待合室には想像よりもたくさんひとがいました。
一見すると不調のなさそうなひとたちが半分くらい。
明らかに精神不安定な面持ちのひとたちが半分くらいでした。
憔悴しきった面持ちで「会社に診断書を提出したいので…」と話す中年男性。
予約が埋まっていることに驚き、「今日いつまででも待ちますから診察してもらえないですか…!」と受付に頼む女性二人組。
みんなつらいんだなあ。
診察に当たってくれた先生は元気溌剌!といった感じではなく
人のつらい話を親身になって聞いてきたら自分もつらくなってきちゃいました
って雰囲気のする先生でした。(相談しやすい先生でした。)
去年・今年と続いている身内の不幸を話しました。
もう何度か人に話してきたから、少しは整理してはなせるようになったのかもしれません。
カウンセラー、大学の先生、大学の友達、中高の友達。
そして積年の家族関係問題も少し相談しました。
診察してくれた先生は余計な同情はせず、余計な言葉を言わず、先生から発せられる質問は事務的で楽でした。
「いまは大学生ですか。大学院生ですか。」
「ひとり暮らしをされているのですね。」
「アルバイト等はされていますか。」
「卒業できるかどうかはどのレベルで怪しいですか。」
「就職先は決まっていますか。」
「以前にこういった症状になったことがありますか。」
「そのとき受診はされましたか。」
「なにか病名をいわれたりはしましたか。」
等々。
そして、
父親が昨年6月にすい臓がん宣告されたこと。
父親のがん宣告で母親が精神不調になってしまったこと(現在心療内科通院中)。
7月に高確率で術中死するといわれた摘出手術を父が受けたこと(成功)。
10月に病院の先生に家族が集められ、父が末期のがんであり、年明けまで生きられないかもしれないと余命宣告されたこと。
11月には
就職活動が終わった気のゆるみや、卒業や就職への不安感、今後の家族との関係への不安、父親の状態が悪くなっていくことへの不安感、それとともに母親の精神が壊れていく不安感、父が母に冷たく当たり母の心のケアを全くしないことへの怒り、母への同情、幼少期に父から暴力を振るわれたことや父が同居してた祖母と頻繁に口論している様子から芽生えた父への恐怖・嫌悪、他者へ強い依存をしがちな母親への辟易など
負の感情のオンパレードで自分が精神不調になったこと。
動悸が止まらくなって循環器内科で検査をし、事情も説明して漢方薬を処方してもらったこと。
と経緯を説明。
さらに
「薬の効きが悪くなってきて抗がん剤の量が二倍になりました。」
「いつまで一緒にご飯が食べられるんだろう」
「何にも楽しくない」
「お父さんのこと私なりに気遣ってるつもりなのに、言葉の使いかたに文句いわれる」
「お父さんの実家はずるいよね。ママひとりに任せて。」
「お父さんはどんどん具合が悪くなるばかり」
「私はなんなんだろう?」
こういう内容の連絡が母から毎日のように来て、自分自身までこころが暗くなっていくこと。
たえきれなくなってもうこういう連絡をしてこないでほしいといってしまったこと。
連絡してこないでほしいと言ってしまった自分に嫌悪を感じてしまっていること。
父が亡くなってから母のぼくへの依存が一層強まるんじゃないかっていう恐怖。
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いつも父のそばにいるのは母で、弱った父の様子を見てるのがつらいのもわかる。
わかるけどさあ…。
ぼくだってそんな話されたらつらいし、かかえきれないよ。
そういうことを言うと
「○○(僕の名前)はママと同じだね。真面目なんだよね。」
と一緒にされる。
性格を巻き込まないでほしい。
そこまで付き合いきれない。
一緒にしないでほしい。
「ああ、依存きつい、、」
母は俺がいないと生きられないのかな。
他に話をきいてくれるひとはいないのかな。
心療内科ではこういう話してこないのかな。
母は昔から
「家族」であることに異常に執着するひとだった。
加えて
恥や見栄を気にする側面が強くて、他者受容の器が小さい。
自他の境界が迷惑なくらいあいまい。
自分のことをママっていうのやめてほしい。
たのむから自分の好きなことを優先してやってほしい。
必要なら父と離婚して、誰かほかの人と再婚してほしい。
そう話してはいるんだけど…
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話を戻します。
今回メインで相談したいことは他にあって
他人に説明すると「病んでるね」と無責任な診断をしてくることが結構あること。
その言葉で自己憐憫に溺れてしまい、じぶんが可哀想だと錯覚してしまうこと。
自己憐憫に溺れ、内心で被害者・苦労人面をしてしまう自分を嫌悪してしまうこと。
不幸自慢してほしいわけじゃないけれど、「自分もこうゆうつらいことあったよ。」って話してほしかったこと。そしてぼくが特別不幸なんじゃないって思いたかったこと。
でもそんなことは周りへの身勝手な期待で叶うわけがないことも、そんな期待をすること自体が傲慢であることも自覚はしていること。
事情を説明すると期待してしまうこと。
事情を説明しないと、配慮や考慮はうけられないこと。
そしてどうしたらいいかわからなくなってここにきてみたこと。
父親に対して生きていてほしいと思う一方で、はやく亡くなってほしいと思う自分がいること。
そう考えてしまう自分を嫌悪してしまうこと。
もうぼくは死んでしまったほうが楽なんじゃないかって思ってること。
話しました。話を聴いてもらいました。
思いついたそばから、心の傷エピソードを話していきました。
先生はぼくに「うつ病(またはうつ状態)」と診断を下しました。
この診断に大きな意味はなく、この状態を脱するためには
「気分転換」と「意味づけ」が有効だと説明してくれました。
漢方薬を処方してもらいました。
半夏厚朴湯(ハンゲコウボクトウ)
写真
不安感を落ち着ける作用が強いそうです。
これを服用しつつ、自分のやりたいことをして三週間様子を見ようと思います。
(三週間後には卒業発表を控えていることが、不安をあおります。
社会活動をおやすみできないのはいいことなのか、悪いことなのかはわかりませんがやれることをやっていこうとおもいます。)
正直に話す技術はこの一年で大きく向上した気がします。
そしてそのためにはこうして文章にしたほうが整理できることを学びました。